北海道日本ハムファイターズを長年率い、2023年現在は侍ジャパンの監督を務め、見事優勝に導いた栗山英樹(くりやま ひでき)さん。
東京都小平市出身の元プロ野球選手(外野手)、
監督、
野球解説者・評論家、
スポーツジャーナリスト・スポーツライター、
そして大学教授。
2016年には、広島東洋カープとの日本シリーズを制し、チームを日本一に導きました。
その後、2021年に退任することとなりましたが、同年には侍ジャパンの監督に就任しました。
2023年現在はその他にも、テレビ朝日系列の放送局でゲスト解説者も務めています。
素晴らしい肩書と実績をもつ栗山英樹さん。
この記事では、そんな栗山英樹さんについて調査していきます。
Contents
栗山英樹さん現役引退理由は「メニエール病」?
上記のとおり、栗山英樹さんは選手時代から平衡感覚が狂う三半規管の難病であるメニエール病に苦しんでいたとのこと。
1985年の現役2年目から苦しむようになり、突然目まいや立ちくらみを覚えるようになったそうです。
しかし、当時栗山英樹さんは1、2軍のボーダーラインにいたこともあり、首脳陣には隠して試合に出続けているんです。
そして1986年のオフには治療に専念するために長期入院を余儀なくされました。
その後もメニエール病の症状が再発することもあり、怪我もあり、1990年の29歳で現役を引退したんですね。
若い頃のメニエール病
栗山さんは、1983年にヤクルトスワローズの入団テストを受け合格し、ドラフト外の選手としてプロ野球へ。
彼は、いわゆるテスト入団だ。当時は今と違いドラフト外という枠があった。引用元:プロ不合格に幻の長嶋内閣入り。“日本一”栗山監督を作った2つの転機 | Yahoo! JAPAN
実はテストを受けた際の彼の評価は低く、非力で体力がなく、センスはあるが使えたとしても守備固め程度だろうと言われていたそう。
担当スカウトの方でさえ、プロになることは諦めた方がいいと言ったそうです。
しかし、どうしてもプロになりたかった彼は引き下がらず、熱意を買われたのか入団が認められたそうです。
普通なら、そのような選手は周りとのレベルの差を思い知り、すぐに折れてしまうようですが栗山さんは違ったんですね。
コーチとの厳しい練習に食らいつき、技術を磨き、レギュラーをとるまでの選手へと成長。
彼の打撃技術と守備力は本物で、規定打席にこそ届かなかったものの一流打者の目安となる打率3割以上を2回記録し、1989年には守備力が優れた選手に贈られるゴールデングラブ賞も受賞しています。
しかし、そのような順調に見えるプロ野球選手としてのキャリアですが、その影で彼はある病に苦しめられていました。
その病気の名前はメニエール病。
この病気は、ストレスなどが引き金となり、突発的に強いめまいや吐き気などが引き起こされるもの。
罹ったことが無い方には理解し難いかもしれませんが、一度発作が起きると丸1日ベッドから起き上がれなくなる程強い症状となることも頻繁にあるんだとか。
栗山さんは、プロ入り2年目からこの病を患っていたそうです。
プロ2年目から患っていたメニエール病で日本で入院中だった。
引用元:ギャオス内藤さんが教えてくれた“栗山英樹選手”スワローズ時代のいい話 | 文春オンライン
入院していたということなので、相当症状が酷かったのでしょう。
おそらくは脳の病気を疑い、MRI検査なども受けたのではないでしょうか。
そこからは、病気と上手く付き合いながら現役を続けたようですが、1990年にメニエール病が再発。
結局、それも原因の一つとなり引退。
だが、翌90年は69試合の出場に終わり、メニエール病の再発や右ヒジの故障などの不安もあって、29歳の若さでユニフォームを脱ぐ。
引用元:栗山英樹 選手としても実績ゼロから成功した理由/プロ野球1980年代の名選手 | 週刊ベースボールONLINE
この病気がなければ、もっと長く現役選手として活躍できていたのかもしれませんね。
栗山英樹さん引退後の活動は?
栗山英樹さんの引退後は野球解説者やスポーツキャスターとしてテレビ朝日、TBSテレビ、TBSラジオに出演していました。
スポーツニッポンの専属野球評論家やプロ野球コメンテーターを務めるなど幅広く活動。
また母校の東京学芸大学の講師や、白鵬大学助教授、准教授、教授も歴任していました。
北海道の栗山町から観光大使を依頼され、「栗の樹ファーム」という野球場と練習場をつくり、少年野球教室や大会を開くなど栗山町の観光大使として地域にも貢献。
その後、2011年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、10年間監督。
そして3月に行われる2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表の監督を努めます。
栗山英樹さんのプロフィール・経歴
本名:栗山 英樹(くりやま ひでき)
生年月日:1961年(昭和36年)4月26日
身長:174cm
出身地:東京都小平市
最終学歴:東京学芸大学
役職:侍ジャパン監督
選手歴 創価高等学校、東京学芸大学、ヤクルトスワローズ (1984 – 1990)
監督歴 北海道日本ハムファイターズ(2012–2021)
侍ジャパン監督(2021–)
栗山英樹さんはプロチームに入団テストを受け、1984年にヤクルトスワローズに入団。
1年目に守備要員として遊撃手で1軍デビュー。
2年目の6月から右翼手としてレギュラーに定着し規定打席未満ながら打率.301を記録。
3年目には初の開幕一軍を果たし、レギュラーの座を獲得しました。
その後、怪我に悩まされましたが、翌年の4年目の6月から1番右翼手として、レギュラーに定着し、打率.331を記録。
翌年の5年目にはゴールデングラブ賞を獲得するほど、守備範囲の広さを評価されましたが、1990年に右肘のケガやメニエール病を理由に、29歳の若さで現役を引退しました。
現役時代の通算成績は実働7年で、494試合、打率.279、7本塁打、23盗塁。
ド素人の僕からみても「すごい…」の一言です…。
栗山英樹氏の実家・生い立ち
栗山英樹さんの実家は、東京都小平市の富士見町住宅です。
小学校は地元の、小平市立小平第十三小学校。
そして小学校時代に、地元の富士見スネークスに入団し、野球を始めています。
中学校は、小平市立小平第ニ中学校へ進学。
中学校では一度野球を離れ、バレーボール部に入ったそうです。
後に、外野守備で魅せたダイビングキャッチは、バレーで会得したフライングレシーブが原点となっているそうですよ。
中学3年時には、地元のポニーリーグチーム:小平ポニーズ(中学生のための硬式野球リーグ)に入り、投手として日米大会に出場。
この大会でMVPを獲得したことから、小平市内の創価高校野球部からスカウトされました。
そうして進学した創価高等学校では、3年時には主将兼エース!
しかし甲子園は行ってないんですね。
その後は教員を目指し、東京学芸大学教育学部に合格。
東京学芸大では硬式野球部に入部し、投手、内野手として活躍します。
栗山さんは在学中に小・中・高の教員免許を取得。
卒業後は教員になるつもりだったそうです。
しかし、4年時には再び野球に心を燃やします。
そしてプロチームの入団テストを受け、その結果ヤクルトスワローズへのドラフト外入団が決まったのでした。
栗山英樹さん監督歴
2012年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、新人監督として17人目のリーグ優勝を果たす。
日本シリーズでは読売ジャイアンツと対戦。
2勝4敗で敗れ、惜しくも日本一達成とはなりませんでした。
2013年に大谷翔平選手をドラフト1位で獲得し、翌年2014年から3年連続でクライマックスシリーズに進出。
2016年には4年ぶりのリーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズのファイナルステージでソフトバンクに4勝2敗で降し、4年ぶりに日本シリーズへの出場権を獲得しました。
日本シリーズでは広島東洋カープと対戦し、4勝2敗で降し、自身初の日本一を獲得しています。
球団としては10年ぶりの日本一でした。
翌年の2017年は日本ハムファイターズが本拠地を北海道に移転してから通算1000勝を達成。
2018年はクライマックスシリーズに出場するも、2019年から3年連続でBクラスで終わってしまいます。
そして2021年に北海道日本ハムファイターズの監督を退任。
栗山英樹さんは北海道日本ハムファイターズの監督を10年間努め、日本一を1回、リーグ優勝を2回、クライマックスシリーズ5回出場を果たしているんですね。
素晴らしい実績と思います。
栗山英樹 成績
若い頃は超イケメンでモテモテだった?
優しげな雰囲気‥
そして少し涙もろい…
さらには選手のことが大好きな、素敵ななおじさんといった印象があるのではないでしょうか。
そんな彼ですが、若い頃はとてもイケメンで、女性からの人気がとても高かったようです。
栗山英樹さんは、ヤクルトスワローズの選手だったんですが、俊足巧打タイプで両打ちというスタイル。
かっこいいですね!
しかもルックスも良いから女性へのモテっぷりは球界トップレベルといっても過言ではないのでは?
全盛期には、当時めちゃくちゃ人気でモテモテだった俳優の羽賀研二(はが けんじ)さんと比べられるほどだったそうですよ。
たくさんの女性とも関係があったとのことです。
栗山英樹氏はあの福島弓子さんと結婚直前だった
野球に全てを捧げているような栗山さんですが、過去に大恋愛をしていたとのこと。
そのお相手は、後にあのイチローさんの妻となる福島さんでした。
福島さんといえば、美人アナウンサーとしてとても有名な人物。
スポーツ番組も担当しており、プロ野球選手との接点も多かったでしょうね。
そんな中、栗山さんと福島さんは出会ったようです。
きっかけは、スポーツニュース番組「JNNスポーツ&ニュース」(TBS)での共演だったと言われています。
栗山と福島の熱愛が発覚したのは1994年のこと。引用元:栗山英樹と結婚直前だった福島弓子 婚約を破棄され今はイチローの妻に!
二人はその後仲を深めていき、交際。
そして関係は順調に深まっていき、ついには栗山さんが福島さんの両親に結婚の挨拶をすることに。
「弓子さんを幸せにします、結婚をさせてください」と告げたそうで、了承されて婚約となったそうですよ。。
しかし、その後栗山さん側から一方的に婚約破棄され、福島さんはとても落ち込んだそうです。
誠実そうな彼のイメージからすれば、かなり意外な話ですよね。
栗山英樹は今は独身?
栗山さんは2023年現在独身であり、奥さんはいません。
彼が何故結婚していないのかは、噂レベルの話しかありません。
栗山英樹さんは野球への熱意が高い人ですからね。
それは現役引退後も変わらないようですし、監督としても選手時代以上に活躍中。
選手に対しても、とても愛情深く接していることで知られています。
選手との対応で最も意識したのは「とにかく片想いを続けること」だと言う。
社会的地位や収入がある男性なら結婚していないとおかしいなどと思ってしまいますが…
やはり現イチローさんの妻、福島さんとの破局に良いイメージがなく、結婚する気はないのかも。
‥引きずっているのかもしれませんね。
栗山英樹、伊達公子との浮気はデマ
栗山さんが福島さんと婚約破棄した理由として、伊達さんと浮気をしていたのではないかという噂があります。
栗山氏は交際していた福島に『99%は君のことが好きだけど、残りの1%で伊達公子さんのことが気になってしまうから』と謎の理由を告げて一方的に捨てたと言われる。
引用元:歴代人気美女アナ「成り上がり」ランキング〈「玉の輿婚」成就〉“栗山英樹に捨てられイチロー奪取”福島弓子の幸運 | アサ芸プラス
記事にある、彼が言ったとされる台詞はとても衝撃的ですよね。
「99%は君(福島さん)のことが好きだけど、残り1%では伊達さんのことが気になってしまう」。
??なんやこれ??
こんな事を本当に言っていたとしたら‥??
しかし、あくまでも噂だったようです。
栗山さんと伊達さんの関係は、一緒に食事をしたことがある程度だったとのこと。
色々と憶測を広げてしまいそうな話ですが、他人が今更口を出すことではありませんよね。
彼にとっての家族とは、指導してきた選手達ではないでしょうか。
伊達公子さんとの噂もあったようですが、こういった下世話な話は彼には似合いませんよね。
侍ジャパン監督として栗山さんを純粋に応援していけばオッケーですよね。
実家の父親は?
↑こんな感じだったそうです。
栗山英樹監督の実家は、東京都小平市の富士見町住宅。
栗山さんは小学校時代に、地元の「富士見スネークス」に入団し、野球を始めました。
「富士見スネークス」は、栗山さんのお父さんが創設し、監督を務めるチームです。
お父さんの指導はとても厳しく、徹底的にしごかれたそうです。
お父さんの影響だったんでしょうか?
野球の道に入った栗山さんは、次第にプロ野球選手になりたいと思い始めたそうです。
しかし、栗山さんの高校時代、お父さんに
プロより指導者を目指せ
と言われ、猛勉強して東京学芸大学に合格。
しかし、結局、栗山さんは、ヤクルトスワローズに入団したんですね~。
母親と兄弟は?
栗山英樹監督のお母さんに関する情報はありません。
兄弟は?
実は、栗山監督には3歳年上のお兄さんがいます。
前述の「富士見スネーク」では、お兄さんが先にプレーしており、栗山さんはお兄さんに誘われたのだとか。
東京学芸大に進学したのもお兄さんの影響だそうなので、お兄さんは教師の道へ進んだのかもしれませんね。
子供はいる?
前述の通り、結婚歴がない栗山監督に、子供はいません。
栗山監督は、北海道に私設球場である「栗の樹ファーム」を作っており、ここで少年野球教室を開催しています。
ここに集まる子供たちが、栗山監督の子供のようなものなのでしょうね。
栗山英樹氏の豪邸とは?
栗山さんは、北海道夕張郡栗山町に「栗の樹ファーム」と呼ばれている家を構えています。
少年野球場も併設された立派なお家です。
悠然とした自然に囲まれた環境で少年野球用の球場も併設されている豪邸という噂であり、そのような家を建てられるのなら、いくら年俸を貰っていたのか気になりますよね。
まだスポーツジャーナリストを務めていた2002年に、自身の苗字と同じという縁から、栗山町に少年野球場として建設。
2015年には自宅を併設し、そこにに住んでいるそうです。
球団の拠点であった札幌からは少し離れていますが、そういった場所に自宅をかまえるあたり、実利だけを重視するわけではない彼の性格が現れているのかもしれませんね。
「栗の樹ファーム」ですが、自宅に併設されている少年野球用の球場だけではなく、資料館としても興味深いもののようです。
まとめ
栗山英樹さんは右肘のケガやメニエール病を理由に、29歳の若さで現役を引退
北海道日本ハムファイターズの監督時代の功績があり、3月に行われる2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表の監督を努める
北海道の栗山町から観光大使を依頼され、「栗の樹ファーム」という野球場と練習場をつくり、少年野球教室をするなど、地域貢献などもやっています。
人生なにが起こるかわかりませんが、栗山英樹監督にはまだまだ頑張ってほしいですね!!
これからのご活躍も期待しております!