森 喜朗(もり よしろう)は日本の政治家。
2000年から約1年に渡り、第85代・第86代の内閣総理大臣を務める。
そして、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務めました。
数々の失言で注目を集めた元内閣総理大臣の森喜朗氏は、現在、がんで激やせした姿や息子の死因も話題です。
森喜朗氏の経歴、若い頃、家系図、失言集、息子さんの黒い噂などなどもですが‥
今回は森喜朗元首相を支えてきた妻の智恵子さんについても調べました!
森喜朗の家系図から
森喜朗さんの家族構成は妻の旧姓:牧(森)智恵子さん、長男の森祐喜(2011年に死去)、長女の盛陽子さんの4人家族です。
森家は江戸時代加賀藩で、代々村の肝煎(きもいり、庄屋のこと)を務めた家系です。
森さんの祖父と父親は、根上の村長、町長を長く務めています。
祖父:森喜平(根上村長)
父:森茂喜(根上町長)
母:森薫
姉:智子
弟:紀喜 (外科医)
大和なでしこ!森喜朗の妻・森智恵子さんとは?
年齢:森喜朗さんよりも1歳年上で、おそらく2023年3月現在86歳。
出身地:神奈川県横浜市
学歴:早稲田大学教育学部
旧姓:牧(まき)
元内閣総理大臣・森喜朗を支え、息子・森祐喜を育てた智恵子さん。
森喜朗は愛妻家として知られており、2人の出会いは早稲田大学在学時だったようです。
森智恵子夫人との馴れ初めや、夫人の性格
早稲田大学生時代、胃潰瘍でラグビー部を退部した森喜朗氏は、東南アジアからの留学生との交流を深めるサークル「国際学友会」に所属し、ここで後に嫁となる智恵子夫人と出会います。
当時の彼女は水泳をしていて、真っ黒に日焼けしていたため、東南アジアからの留学生と間違えて森喜朗氏が、
「お国はどちらですか?」
と声を掛けたのが始まりだったそうです。
そこから仲を深め、結婚するまでになった2人なんですね。
結婚生活では、森喜朗氏が出張に出かけた際に1日1回は用事がなくても嫁に電話する。
かなりの愛妻家ですね。
森喜朗氏は自民党に入党してから着実に出世の階段を登り、幹事長の座に着きました。
その頃に自民党国会議員の夫人たちが集まる会で食事会が催された際、智恵子夫人から発された言葉が話題になっています。
夫人達の間で〝夫のために死ねるか〟という話題が出た際、ほとんどの夫人達は、
「子供のためなら死ねるけど、夫のためには…💦」
と否定。
しかし、そこで智恵子夫人だけが、
「子供のためにも死ねるけど、夫のためにも死ねる」
という肝の座った発言を残したのです。
彼女は「代議士の嫁の見本」と言われるほど、立ち振る舞いがしっかりしています。
夫を第一に考えて控えめにわきまえる態度でいることはもちろん、肝の座った芯の強さで外国の要人にも物怖じせず接し、堂々とした姿と古き良き大和撫子の姿を使い分けます。
その一方で、森喜朗が「神の国」発言などでマスコミに叩かれていた時も夫を叱咤激励した智恵子夫人。
退陣が決まった直後には、
「やっと終わる。これでせいせいする。終わったらパーティーでもやりましょう」
と親しい議員夫人に語るなど、サバサバした思い切りの良い彼女。
なんかカッコいいですよね!
夫の森喜朗の選挙区を守り、夫の政治家の道を支える…
夫を徹底的に優先するその内助の功があったからこそ、森喜朗は内閣総理大臣にまで上り詰めたのかもしれません。
そして、夫婦仲はすごく良いようです!
森喜朗のプロフィール
名前 : 森喜朗(もり よしろう)
生年月日 : 1937年7月14日
出身地 : 石川県 能美郡 根上町
選挙区 : 石川2区
当選回数 : 14回
学歴 : 早稲田大学商学部
森喜朗さんは石川県立金沢二水高校を卒業後、早稲田大学第二商学部に入学し、商学士の称号を取得。
元々はラグビーのスポーツ推薦で入学しましたが、胃潰瘍により退部。
1960年 産経新聞社入社(-1962年)
1963年 今松治郎衆議院議員秘書(-1967年)
1969年 衆議院議員
1977年 内閣官房副長官(-1978年)
1983年 文部大臣(-1984年)
1992年 通商産業大臣(-1993年)
1993年 自由民主党幹事長(-1995年)
1995年 建設大臣(-1996年)
1998年 自由民主党幹事長(-2000年)
2000年 自由民主党総裁
2000年 内閣総理大臣(-2001年)
現職
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長
日本ラグビーフットボール協会名誉会長
日本トップリーグ連携機構名誉会長
日本体育協会最高顧問
日本臨床心理士資格認定協会会長
全国経理教育協会名誉会長
日印協会会長
日本水フォーラム会長
アジア・太平洋水フォーラム会長
政治家としては1969年の衆議院選挙で初当選。
1983年には文部大臣に入閣。
文部大臣を1年務めた後、通商産業大臣、建設大臣をそれぞれ1年務めています。
2000年4月5日、脳梗塞で緊急入院した小渕恵三首相の後を継いで、内閣総理大臣に就任。
在任期間は2000年4月5日から2001年4月26日と、わずか1年の総理大臣となりました。