森 喜朗(もり よしろう)は日本の政治家。
2000年から約1年に渡り、第85代・第86代の内閣総理大臣を務める。
そして、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務めました。
数々の失言で注目を集めた元内閣総理大臣の森喜朗氏は、現在、がんで激やせした姿や息子の死因も話題です。
今回は森喜朗元首相の経歴、若い頃、家系図、失言集、息子さんの黒い噂などなど、そして森泰夫との関係をまとめました。
Contents
森泰夫とは?
五輪組織委員会元次長の森泰夫氏が逮捕された報道がありました。
森泰夫氏の経歴や出身などのプロフィールが気になりますよね。
また、名前が「森」で五輪組織委員会というところから、森喜朗さんと親族など何か関係がある方なのかと思いますよね。
森泰夫氏と森喜朗さんの関係はどのようなものなのでしょうか?
森泰夫 プロフィール
名前 :森泰夫(もり やすお)
生年月日 :1968年
年齢 :55歳(2023年3月時点)
出身 :東京都
学歴 :桐朋中学→桐朋高校→横浜国立大学→就職後、早稲田大学大学院
森泰夫の経歴
五輪組織委員会元次長の森泰夫氏の経歴は以下の通り。
1991年 横浜国立大学卒業
1991年 東急電鉄に就職
2004年 東急電鉄を退職
2004年 日本陸上連盟に転職
2007年 早稲田大学大学院スポーツ科学専攻トップスポーツマネジメントコースを修了
2014年 日本陸上連盟副事務局長就任
2014年 東京五輪組織委員会運営局次長就任
森泰夫氏は、横浜国立大学出身です。
中学から陸上を始め、大学生の時も競技に打ち込んでいます。
その経験から、大学在学中に陸上競技連盟の一員として関わった経歴があります。
大学卒業後は、陸上競技連盟ではなく、企業である東急電鉄に進みます。
東急電鉄では、都市開発事業などに携わっています。
森さんは桐朋中高、さらに大学でも、陸上競技に取り組み、大学では、連盟の一員としても関わったこと、その後、企業に就職されましたが、縁あって、日本陸上競技連盟に転職し、大会運営、広報、強化、普及などさまざまな活動を統括する役割を担当され
引用元:桐朋中学校・桐朋高等学校
その中で、国際大会で審判を務めたこともあります。
・世界陸上競技選手権大会県大会
・東京マラソン
・名古屋ウィメンズマラソン
ずっと陸上に関わってきただけあって、スポーツに対して熱い想いをお持ちのようです。
母校である桐朋中学校や日本記者クラブでも日本のこれからのスポーツについて熱く語っています。
中学から大学までは、自身が「スポーツをする人」として。
大学から就職後は、「スポーツを支える人」として活動しています。
森泰夫氏は、東京都国立市にある中高一貫校「桐朋中学・桐朋高等学校」出身。
桐朋中学は偏差値67~71となっていますので学力もかなり高い方のようですね。
森泰夫と森喜朗との関係は?
五輪組織委員会元次長の森泰夫氏と元会長である森喜朗さんの関係が、名字が同じであることから親族なのでは?という声もありますが、実際は血縁関係はない可能性が高いです。
森喜朗さんの家系図を見ても、近しいところに森泰夫さんの名前はありません。
ー親子関係 …婚姻関係
(姉)智子
(弟)紀喜ー長女…岡田直樹(参議院議員)
森喜朗…森千恵子
ー長男:森祐喜…妻(離婚済)
ー長女:藤森陽子…藤森真佐(IT企業社長)
ただ、週刊文春の報道によると、森泰夫氏が
『俺は森喜朗の親戚だぞ!』と周囲に威張り散らしていた
引用元:週刊文春
という情報があります。
ものすごく遠い親戚ということがあるかもしれませんが、結局は分かりませんよね。
確実にわかっているのは、たまたま森という名字が一緒で、同じ五輪組織委員会にいた上司と部下といった関係。
また、森泰夫氏が逮捕された件について、森喜朗さんが関わっていたかも不明。
これから捜査が進めば、関係性が少しははっきりしてくるのかも知れませんね。
森喜朗の家系図
森喜朗さんの家族構成は妻の旧姓:牧(森)智恵子さん、長男の森祐喜(2011年に死去)、長女の盛陽子さんの4人家族です。
森家は江戸時代加賀藩で、代々村の肝煎(きもいり、庄屋のこと)を務めた家系です。
森さんの祖父と父親は、根上の村長、町長を長く務めています。
祖父:森喜平(根上村長)
父:森茂喜(根上町長)
母:森薫
姉:智子
弟:紀喜 (外科医)
大和なでしこ!森喜朗の妻・森智恵子さんとは?
年齢:森喜朗さんよりも1歳年上で、おそらく2023年3月現在86歳。
出身地:神奈川県横浜市
学歴:早稲田大学教育学部
旧姓:牧(まき)
元内閣総理大臣・森喜朗を支え、息子・森祐喜を育てた智恵子さん。
森喜朗は愛妻家として知られており、2人の出会いは早稲田大学在学時だったようです。
森智恵子夫人との馴れ初めや、夫人の性格
早稲田大学生時代、胃潰瘍でラグビー部を退部した森喜朗氏は、東南アジアからの留学生との交流を深めるサークル「国際学友会」に所属し、ここで後に嫁となる智恵子夫人と出会います。
当時の彼女は水泳をしていて、真っ黒に日焼けしていたため、東南アジアからの留学生と間違えて森喜朗氏が、
「お国はどちらですか?」
と声を掛けたのが始まりだったそうです。
そこから仲を深め、結婚するまでになった2人なんですね。
結婚生活では、森喜朗氏が出張に出かけた際に1日1回は用事がなくても嫁に電話する。
かなりの愛妻家ですね。
森喜朗氏は自民党に入党してから着実に出世の階段を登り、幹事長の座に着きました。
その頃に自民党国会議員の夫人たちが集まる会で食事会が催された際、智恵子夫人から発された言葉が話題になっています。
夫人達の間で〝夫のために死ねるか〟という話題が出た際、ほとんどの夫人達は、
「子供のためなら死ねるけど、夫のためには…💦」
と否定。
しかし、そこで智恵子夫人だけが、
「子供のためにも死ねるけど、夫のためにも死ねる」
という肝の座った発言を残したのです。
彼女は「代議士の嫁の見本」と言われるほど、立ち振る舞いがしっかりしています。
夫を第一に考えて控えめにわきまえる態度でいることはもちろん、肝の座った芯の強さで外国の要人にも物怖じせず接し、堂々とした姿と古き良き大和撫子の姿を使い分けます。
その一方で、森喜朗が「神の国」発言などでマスコミに叩かれていた時も夫を叱咤激励した智恵子夫人。
退陣が決まった直後には、
「やっと終わる。これでせいせいする。終わったらパーティーでもやりましょう」
と親しい議員夫人に語るなど、サバサバした思い切りの良い彼女。
なんかカッコいいですよね!
夫の森喜朗の選挙区を守り、夫の政治家の道を支える…
夫を徹底的に優先するその内助の功があったからこそ、森喜朗は内閣総理大臣にまで上り詰めたのかもしれません。
そして、夫婦仲はすごく良いようです!
最後に
元首相・森喜朗の現在、嫁や息子などなどについて紹介しました。
現在も現役で政治の世界に身を投じる政界の大物は、今後どんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
生涯現役?の政治家・森喜朗氏の今後にも注目です。