森 喜朗(もり よしろう)は日本の政治家。
2000年から約1年に渡り、第85代・第86代の内閣総理大臣を務める。
そして、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務めました。
数々の失言で注目を集めた元内閣総理大臣の森喜朗氏は、現在、がんで激やせした姿や息子の死因も話題です。
今回は森喜朗元首相の息子の祐喜氏についてご紹介します。
押尾学とのどす黒い噂もどうぞ!
長男・森祐喜さん
プロフィール
名前:森祐喜(もり ゆうき)
生年月日:1964年10月15日
出生地:石川県能美郡根上町
没年月日:2011年7月25日(46歳没)
学歴:玉川学園高等部卒業、東海大学教養学部中退
前職:小松青年会議所理事長
所属政党:自由民主党 石川県議会議員
選挙区:能美市能美郡選挙区
当選回数:2回
在任期間:2006年3月22日 – 2010年8月7日
2000年の36歳の時から、お父さんである森喜朗さんの公設秘書として働いていました。
そして、2006年に石川県議会議員に立候補し当選。
しかし、2010年に飲酒運転で事故をおこし逮捕され、県議会議員を辞職。
ゆくゆくは県会議員から国会議員へと、お父さんの森喜朗さんは思っていたのかもしれませんね。
そして、祐喜氏は2011年に46歳という若さで死去。
祐喜氏の黒い噂とは?
実は森喜朗さんの長男・森祐喜さんは押尾学事件と関係していたのでは?
と言われています。
何と、この事件について、押尾はMDMAの使用は尿検査からも使用が確認されたが、実は、田中香織さんの死亡事件では、もう1人、関わっていた人物が出てきたのだ。
噂として上がっているのは、あの森喜朗元総理の息子のYである。
もちろん、現時点では証拠はない。
しかも、密室での事件である。事情通によれば 「田中香織さんの亡くなった事件では、押尾が疑われているが、これは身代わりになって疑いの矢面に立っているという情報もあるんですよ。もちろん事実は分かりませんが…。
ただ、田中さんの亡くなった時に、Yがレジデンスの2307号室にいたことはかなりの角度で噂になっています。
押尾は、身代わりになって疑われることで、何か条件を出しているかもしれませんね。
いずれにしても、Yが事件に関わっていたとしたら、警視庁だって捜査に手心を加えるかもしれませんね」。
森祐喜 事故や押尾学との関係
森祐喜の生家である森家は、石川県能美郡根上町の名家です。
父の森喜朗が政治家であることはもちろん、曾祖父の森喜平は石川県能美郡根上町の初代町長、祖父の森茂喜も町長に就任するなど、幼い頃から政治は身近な存在だったんですね。
東海大学教養学部を中退した後はアメリカ合衆国のジョージタウン大学に留学。
日本に帰国後は父の森喜朗の秘書として政治の世界に飛び込む。
そして2000年、父の森喜朗が内閣総理大臣に就任すると、息子の森祐喜も衆議院議員公設第一秘書となり、父親を支えました。
翌年には小松青年会議所の理事長にも就任し、自身も石川県議会議員になるなど政治家として活動を始めます。
しかし問題も多数あったようで…
先ほども記載したとおり、2010年8月7日には飲酒運転でコンビニエンスストアに車で突っ込む事故を起こして逮捕されました。
その責任を取って、同日付で石川県議会の議員を辞職。
この時、事故を起こした時点で飲酒運転が明らかだったにも関わらず現行犯逮捕に至らず、任意同行した後に逮捕となったことが注目されました。
石川県の名家であり、父親が元首相の森喜朗ということで、何かしらの政治的な力が働いているのでは?と懐疑的な声が挙がったのです。
飲酒運転でコンビニに突っ込む事故を起こした時、車から降りる際に足元がふらついており、意味不明な言葉を発していたとの目撃と報道もありました。
飲酒ではなく、
ドラッグを使用していたのでは‥?!
との噂も流れました。
押尾学とホステスの薬物死亡事件との関係
2009年に起きた銀座ホステスと俳優・押尾学の薬物服用によるホステス死亡事件‥
その時にも、押尾学の逮捕時に交友関係がある1人として息子・森祐喜の名前が挙がっているんです。
「事件当時ホステスと一緒にいたのではないか…?」
ホステスの体調が急変したにも関わらず、適切な処置を行わなかったとして保護責任者遺棄致死の罪に問われた押尾学。
そして押尾学は実刑判決を受けましたよね。
当時2期目の石川県議だった森祐喜氏。
亡くなったホステスと一緒に写った写真が存在し、ホステスが勤務していた銀座のクラブに押尾学と共に常連だったことなどが証言されています。
押尾学に口止め料を‥?
レストランでの飲食代、高級マンションでの生活など、裕福な私生活の資金は一体どこから出ているのか‥。
というのも、出所後の押尾学は仕事をしている様子がないにも関わらず、俳優時代より羽振りが良く、誰かから援助を受けて生活しているようだとの記事があるんです。
事件当時、現場にいたことを揉み消すために押尾学に口止め料を支払った人物が存在するのかも、と思ってしまいますよね?
だって押尾学を援助している人物は事件当時、政治家の秘書をやっていたと言われているんですから。
その点でも森祐喜との関連が怪しくなってきませんか?
金の出どころは週刊誌の記者でも掴みきれてないようですが、森祐喜が関係しているという噂が流れるのは不自然ではないのかもしれません。
森祐喜の死因とは?
森喜朗の息子で政治家だった森祐喜。
社団法人小松青年会議所の第44代理事長で、石川県議会議員、石川県議会建設委員長などを歴任してきましたが‥
46歳という若さで亡くなりました。
2010年10月31日に石川県能美市の自宅で倒れ、一時心肺停止状態に陥りました。
入院して一命を取り留めたものの、2011年5月頃より再び体調を崩して入院。
2011年7月25日、入院先の病院で急性膵炎による多臓器不全のため死去。
葬儀は、家族のみの密葬で行われています。
繰り返す体調不良も薬物使用から来るものではと噂されており、森祐喜は薬物依存症だったのではないかと言われています。
うーん…
実に良くないですね~