森 喜朗(もり よしろう)は日本の政治家。
2000年から約1年に渡り、第85代・第86代の内閣総理大臣を務める。
そして、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務めました。
数々の失言で注目を集めた元内閣総理大臣の森喜朗氏は、現在、がんで激やせした姿や息子の死因も話題です。
今回は森喜朗元首相の豪邸、経歴、若い頃、家系図、失言集、息子さんの黒い噂などなど、そしてがんで激やせした現在をまとめました。
Contents
森喜朗の自宅住所はどこ?豪邸?タワーマンション?土地代はいくら?
森喜朗さんの住所といえば、
東京都世田谷区瀬田4-9-16
が森喜朗さんの住所と言われていました。
住所からしてタワーマンションではなく一戸建てですね。
ちなみに東京都世田谷区瀬田の地価はこちら。
価格相場 222 万円/坪 (67.1万円/㎡)
瀬田といえば、多くの財界人・政界人等が暮らす、世田谷区内の高級住宅街。
なのでやはり高いですね!!
家を見ると、ざっくり200㎡はありそうです!
土地代だけで1億超えているんじゃないでしょうか?
現在は解体されています。
森喜朗のプロフィール
名前 : 森喜朗(もり よしろう)
生年月日 : 1937年7月14日
出身地 : 石川県 能美郡 根上町
選挙区 : 石川2区
当選回数 : 14回
学歴 : 早稲田大学商学部
森喜朗さんは石川県立金沢二水高校を卒業後、早稲田大学第二商学部に入学し、商学士の称号を取得。
元々はラグビーのスポーツ推薦で入学しましたが、胃潰瘍により退部。
1960年 産経新聞社入社(-1962年)
1963年 今松治郎衆議院議員秘書(-1967年)
1969年 衆議院議員
1977年 内閣官房副長官(-1978年)
1983年 文部大臣(-1984年)
1992年 通商産業大臣(-1993年)
1993年 自由民主党幹事長(-1995年)
1995年 建設大臣(-1996年)
1998年 自由民主党幹事長(-2000年)
2000年 自由民主党総裁
2000年 内閣総理大臣(-2001年)
現職
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長
日本ラグビーフットボール協会名誉会長
日本トップリーグ連携機構名誉会長
日本体育協会最高顧問
日本臨床心理士資格認定協会会長
全国経理教育協会名誉会長
日印協会会長
日本水フォーラム会長
アジア・太平洋水フォーラム会長
政治家としては1969年の衆議院選挙で初当選。
1983年には文部大臣に入閣。
文部大臣を1年務めた後、通商産業大臣、建設大臣をそれぞれ1年務めています。
2000年4月5日、脳梗塞で緊急入院した小渕恵三首相の後を継いで、内閣総理大臣に就任。
在任期間は2000年4月5日から2001年4月26日と、わずか1年の総理大臣となりました。
森喜朗さんの現在(がんで激やせした姿)
2016年3月にがんの手術をしていたことを明らかにした森喜朗元首相。
2020年の東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の立場であったため、がんの病状や余命について注目が集まりましたよね。
メディアの前に登場した森喜朗は、驚くほど激やせした姿を見せました。
本人によると、100kg以上あった体重が85kgまで落ちたようで、肺がんの手術をしたばかりだと報告。
一度肺がんの除去手術を受けたものの、2015年には再発が見つかり、抗がん剤治療を始めた森喜朗氏。
森さんは自身の余命について「このままどれだけ持つか分からない」と語っています。
総理大臣に就任した直後に前立腺がんが見つかりました。
当時は総理大臣就任直後ということもあり、至急の手術を受けることはせず、在任期間が明けた2002年にがん手術を受けました。
森喜朗氏の手記「遺書」
何度かのがん手術を受け、がんと闘ってきた森喜朗氏。
闘病生活や政治家としての人生を綴った手記、「遺書」。
「遺書」は、2020年東京五輪に向けて指揮を執る中での肺がんの闘病記録、日本オリンピック委員会(JOC)や現東京都知事の小池百合子との確執などなどが綴られ、話題となりました。
石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池百合子といった歴代東京都知事とのやりとりも綴られており、オリンピック組織委会長に就任してからの興味深い話を読むことができます。
若い頃はラガーマンでイケメン!
森喜朗さんは現在東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長をされていますが、日本ラグビーフットボール協会名誉会長でもあります。
それは森喜朗さんがラガーマンがラガーマンだったからだそうですよ。
森喜朗さんが小学校4年生の時に、早稲田大学ラグビー部の選手だったお父さんから誘われて部の合宿に行ったそうで、その時に初めてラグビーと出会います。
その年のラグビー早慶戦を見て感動し、「ラグビーをやりたい!」と思ったそうです。
その当時、ラグビーの強豪・校石川県立金沢二水高等学校に進むために、金沢市立高岡町中学校(現金沢市立高岡中学校)に越境入学します。
それほどのラグビー大好き少年だったそうですよ。
が、ラグビー部がないためバスケットボール部に入部。
ちなみに金沢二水高校のラグビー部は森喜朗さんのお父さんが指導をしていたらしいですね。
下の画像は大学時代の森喜朗さんです。
森喜朗さんの学力では早稲田大学に入ることは難しかったようです。
そこで早稲田大学に入る為にお父さんの後輩元早稲田大学ラグビー部監督の大西鐵之祐(おおにし てつのすけ)さんにお父さんから紹介状を書いてもらい、補習等を受け、何とか体育局の推薦を受け、入学できたそうです。
(いわゆるコネ入学ですね。)
当然早稲田大学でもラグビーをしますが、肉体的・精神的ストレスで胃潰瘍のため吐血し、退部。
この悔しい気持ちから、2019年のラグビーワールドカップ日本招致を実現したようです。
森喜朗の家系図
森喜朗さんの家族構成は妻の旧姓:牧(森)智恵子さん、長男の森祐喜(2011年に死去)、長女の盛陽子さんの4人家族です。
森家は江戸時代加賀藩で、代々村の肝煎(きもいり、庄屋のこと)を務めた家系です。
森さんの祖父と父親は、根上の村長、町長を長く務めています。
祖父:森喜平(根上村長)
父:森茂喜(根上町長)
母:森薫
姉:智子
弟:紀喜 (外科医)
大和なでしこ!森喜朗の妻・森智恵子さんとは?
年齢:森喜朗さんよりも1歳年上で、おそらく2023年3月現在86歳。
出身地:神奈川県横浜市
学歴:早稲田大学教育学部
旧姓:牧(まき)
元内閣総理大臣・森喜朗を支え、息子・森祐喜を育てた智恵子さん。
森喜朗は愛妻家として知られており、2人の出会いは早稲田大学在学時だったようです。
森智恵子夫人との馴れ初めや、夫人の性格
早稲田大学生時代、胃潰瘍でラグビー部を退部した森喜朗氏は、東南アジアからの留学生との交流を深めるサークル「国際学友会」に所属し、ここで後に嫁となる智恵子夫人と出会います。
当時の彼女は水泳をしていて、真っ黒に日焼けしていたため、東南アジアからの留学生と間違えて森喜朗氏が、
「お国はどちらですか?」
と声を掛けたのが始まりだったそうです。
そこから仲を深め、結婚するまでになった2人なんですね。
結婚生活では、森喜朗氏が出張に出かけた際に1日1回は用事がなくても嫁に電話する。
かなりの愛妻家ですね。
森喜朗氏は自民党に入党してから着実に出世の階段を登り、幹事長の座に着きました。
その頃に自民党国会議員の夫人たちが集まる会で食事会が催された際、智恵子夫人から発された言葉が話題になっています。
夫人達の間で〝夫のために死ねるか〟という話題が出た際、ほとんどの夫人達は、
「子供のためなら死ねるけど、夫のためには…💦」
と否定。
しかし、そこで智恵子夫人だけが、
「子供のためにも死ねるけど、夫のためにも死ねる」
という肝の座った発言を残したのです。
彼女は「代議士の嫁の見本」と言われるほど、立ち振る舞いがしっかりしています。
夫を第一に考えて控えめにわきまえる態度でいることはもちろん、肝の座った芯の強さで外国の要人にも物怖じせず接し、堂々とした姿と古き良き大和撫子の姿を使い分けます。
その一方で、森喜朗が「神の国」発言などでマスコミに叩かれていた時も夫を叱咤激励した智恵子夫人。
退陣が決まった直後には、
「やっと終わる。これでせいせいする。終わったらパーティーでもやりましょう」
と親しい議員夫人に語るなど、サバサバした思い切りの良い彼女。
なんかカッコいいですよね!
夫の森喜朗の選挙区を守り、夫の政治家の道を支える…
夫を徹底的に優先するその内助の功があったからこそ、森喜朗は内閣総理大臣にまで上り詰めたのかもしれません。
そして、夫婦仲はすごく良いようです!
長女・陽子さんについて
森喜朗さんの長女・森陽子さんについては一般の方のため、ほとんど情報はありません。
唯一分かっている事は森喜朗さんの長女・森陽子さんはデジタルハリウッドCEOをされている藤本真佐(ふじもと しんすけ)さんと結婚され子供さん(森喜朗の孫)2人がいることです。
長男・森祐喜さん
プロフィール
名前:森祐喜(もり ゆうき)
生年月日:1964年10月15日
出生地:石川県能美郡根上町
没年月日:2011年7月25日(46歳没)
学歴:玉川学園高等部卒業、東海大学教養学部中退
前職:小松青年会議所理事長
所属政党:自由民主党 石川県議会議員
選挙区:能美市能美郡選挙区
当選回数:2回
在任期間:2006年3月22日 – 2010年8月7日
2000年の36歳の時から、お父さんである森喜朗さんの公設秘書として働いていました。
そして、2006年に石川県議会議員に立候補し当選。
しかし、2010年に飲酒運転で事故をおこし逮捕され、県議会議員を辞職。
ゆくゆくは県会議員から国会議員へと、お父さんの森喜朗さんは思っていたのかもしれませんね。
そして、祐喜氏は2011年に46歳という若さで死去。
祐喜氏の黒い噂とは?
実は森喜朗さんの長男・森祐喜さんは押尾学事件と関係していたのでは?
と言われています。
何と、この事件について、押尾はMDMAの使用は尿検査からも使用が確認されたが、実は、田中香織さんの死亡事件では、もう1人、関わっていた人物が出てきたのだ。
噂として上がっているのは、あの森喜朗元総理の息子のYである。
もちろん、現時点では証拠はない。
しかも、密室での事件である。事情通によれば 「田中香織さんの亡くなった事件では、押尾が疑われているが、これは身代わりになって疑いの矢面に立っているという情報もあるんですよ。もちろん事実は分かりませんが…。
ただ、田中さんの亡くなった時に、Yがレジデンスの2307号室にいたことはかなりの角度で噂になっています。
押尾は、身代わりになって疑われることで、何か条件を出しているかもしれませんね。
いずれにしても、Yが事件に関わっていたとしたら、警視庁だって捜査に手心を加えるかもしれませんね」。
森祐喜 事故や押尾学との関係
森祐喜の生家である森家は、石川県能美郡根上町の名家です。
父の森喜朗が政治家であることはもちろん、曾祖父の森喜平は石川県能美郡根上町の初代町長、祖父の森茂喜も町長に就任するなど、幼い頃から政治は身近な存在だったんですね。
東海大学教養学部を中退した後はアメリカ合衆国のジョージタウン大学に留学。
日本に帰国後は父の森喜朗の秘書として政治の世界に飛び込む。
そして2000年、父の森喜朗が内閣総理大臣に就任すると、息子の森祐喜も衆議院議員公設第一秘書となり、父親を支えました。
翌年には小松青年会議所の理事長にも就任し、自身も石川県議会議員になるなど政治家として活動を始めます。
しかし問題も多数あったようで…
先ほども記載したとおり、2010年8月7日には飲酒運転でコンビニエンスストアに車で突っ込む事故を起こして逮捕されました。
その責任を取って、同日付で石川県議会の議員を辞職。
この時、事故を起こした時点で飲酒運転が明らかだったにも関わらず現行犯逮捕に至らず、任意同行した後に逮捕となったことが注目されました。
石川県の名家であり、父親が元首相の森喜朗ということで、何かしらの政治的な力が働いているのでは?と懐疑的な声が挙がったのです。
飲酒運転でコンビニに突っ込む事故を起こした時、車から降りる際に足元がふらついており、意味不明な言葉を発していたとの目撃と報道もありました。
飲酒ではなく、
ドラッグを使用していたのでは‥?!
との噂も流れました。
押尾学とホステスの薬物死亡事件との関係
2009年に起きた銀座ホステスと俳優・押尾学の薬物服用によるホステス死亡事件‥
その時にも、押尾学の逮捕時に交友関係がある1人として息子・森祐喜の名前が挙がっているんです。
「事件当時ホステスと一緒にいたのではないか…?」
ホステスの体調が急変したにも関わらず、適切な処置を行わなかったとして保護責任者遺棄致死の罪に問われた押尾学。
そして押尾学は実刑判決を受けましたよね。
当時2期目の石川県議だった森祐喜氏。
亡くなったホステスと一緒に写った写真が存在し、ホステスが勤務していた銀座のクラブに押尾学と共に常連だったことなどが証言されています。
押尾学に口止め料を‥?
レストランでの飲食代、高級マンションでの生活など、裕福な私生活の資金は一体どこから出ているのか‥。
というのも、出所後の押尾学は仕事をしている様子がないにも関わらず、俳優時代より羽振りが良く、誰かから援助を受けて生活しているようだとの記事があるんです。
事件当時、現場にいたことを揉み消すために押尾学に口止め料を支払った人物が存在するのかも、と思ってしまいますよね?
だって押尾学を援助している人物は事件当時、政治家の秘書をやっていたと言われているんですから。
その点でも森祐喜との関連が怪しくなってきませんか?
金の出どころは週刊誌の記者でも掴みきれてないようですが、森祐喜が関係しているという噂が流れるのは不自然ではないのかもしれません。
森祐喜の死因とは?
森喜朗の息子で政治家だった森祐喜。
社団法人小松青年会議所の第44代理事長で、石川県議会議員、石川県議会建設委員長などを歴任してきましたが‥
46歳という若さで亡くなりました。
2010年10月31日に石川県能美市の自宅で倒れ、一時心肺停止状態に陥りました。
入院して一命を取り留めたものの、2011年5月頃より再び体調を崩して入院。
2011年7月25日、入院先の病院で急性膵炎による多臓器不全のため死去。
葬儀は、家族のみの密葬で行われています。
繰り返す体調不良も薬物使用から来るものではと噂されており、森祐喜は薬物依存症だったのではないかと言われています。
森喜朗のこれまでの炎上問題発言
2021年の女性蔑視発言以前にも数多くの炎上問題発言をしている森喜朗氏。
問題発言連発!
のイメージが大きいですよね。
その中でも「神の国」が有名です。
2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会で演説した森喜朗氏は、
「日本は天皇を中心とした神の国」
と発言しました。
日本は天皇を中心としている神の国ということを国民にしっかりと承知してもらう、との趣旨の発言は大々的に報道されました。
民主党も、
「日本は神の国? いいえ、民の国です」
と批判するなど、大きな波紋を呼びました。
他にも、えひめ丸沈没事故の際に事故の報告を受けた後もゴルフを続け、批判する記者団に
「ゴルフが悪いことなのか!」
と怒鳴ったこともあります。大丈夫?この人‥(笑)
さらには、
「無党派層は寝てしまってくれればそれでいい」
とも発言するなど‥。数々の失言を残しています。
このことから首相としての資質に欠けるとの批判が殺到!
メディアで多くの問題発言が取り上げられ、マスコミからも批判が集中!
そりゃあそうでしょう‥
結局、辞任に追い込まれることとなりました。
問題発言、主なモノを挙げると…
日本は天皇を中心としている神の国である:2000年
森喜朗さんがが首相だった2000年の発言です。
「神の国発言」とも言われ、国民主権である日本国憲法の否定であり、戦前の「皇国史観」を抱えていると捉えられたことから批判が集中。
子どもを1人もつくらない女性が:2003年
「子どもをたくさんつくった女性が将来、国が『ご苦労さまでした』といって面倒見るのが本来の福祉。
子どもを一人もつくらない女性が、好き勝手とは言っちゃいかんけども、自由を謳歌し楽しんで年取って、税金で面倒見なさいっていうのは本当はおかしいんですよ」
この世代の人はこういったことを言う人が多いですね。
自民党少子化問題調査会長だった2003年に、子どもを持たない女性を否定する発言をし、批判をくらう。
あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね:2014年
これは浅田真央さんに対する発言です。
「見事にひっくり返っちゃいましたね。あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね」
「転んだことが心の傷に残って、今度は転んじゃいかんという気持ちが強く出たのだと思いますね。ちょっと運が悪かった」
「日本は(団体戦に)出なきゃよかった。負けると分かっていた。浅田さんを出して恥をかかせることはなかった」
元々熱血ラガーマンですからこのような発言が出るのか?
ふつう、こんなこと言うか…?
デザインが生牡蠣がどろっとした感じ:2015年
ザハ・ハディド氏が手がけた新国立競技場の建設計画について、
「見直した方がいい」
とし、そのデザインを、
「もともとあのスタイルは嫌だった。生牡蠣がドロっとたれたみたいで」
と酷評。
言っている意味は分かりますが、失礼ですよね。
国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない:2016年
東京都内で開かれたリオデジャネイロ五輪の壮行会での発言。
国歌を歌わなかった選手らに対し、来賓あいさつで訴えますが、国歌斉唱ではなく、国歌独唱で森喜朗さんが誤解していたそうです。
「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」
「口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、表彰台に立ったら、国歌を歌ってください」
私はマスクをしないで最後まで頑張ろうと思うが、選手は気をつけてほしい:2020年
この言葉は記憶に新しいですよね。
東京オリンピック開催が延期されたら直ぐにマスクをしていましたね。
精神論しか語らない森喜朗さんに批判の声が集中しましたが、この世代は何を言っても無理ですね。
いう事を聞きません。
女性の理事を増やす場合は、発言時間を規制しないとなかなか終わらないので困る:2021年
この発言が世界中の人達から批判が集まっています。
ほんと、いろいろあって笑ってしまいます。
森泰夫とは?
五輪組織委員会元次長の森泰夫氏が逮捕された報道がありました。
森泰夫氏の経歴や出身などのプロフィールが気になりますよね。
また、名前が「森」で五輪組織委員会というところから、森喜朗さんと親族など何か関係がある方なのかと思いますよね。
森泰夫氏と森喜朗さんの関係はどのようなものなのでしょうか?
森泰夫 プロフィール
名前 :森泰夫(もり やすお)
生年月日 :1968年
年齢 :55歳(2023年3月時点)
出身 :東京都
学歴 :桐朋中学→桐朋高校→横浜国立大学→就職後、早稲田大学大学院
森泰夫の経歴
五輪組織委員会元次長の森泰夫氏の経歴は以下の通り。
1991年 横浜国立大学卒業
1991年 東急電鉄に就職
2004年 東急電鉄を退職
2004年 日本陸上連盟に転職
2007年 早稲田大学大学院スポーツ科学専攻トップスポーツマネジメントコースを修了
2014年 日本陸上連盟副事務局長就任
2014年 東京五輪組織委員会運営局次長就任
森泰夫氏は、横浜国立大学出身です。
中学から陸上を始め、大学生の時も競技に打ち込んでいます。
その経験から、大学在学中に陸上競技連盟の一員として関わった経歴があります。
大学卒業後は、陸上競技連盟ではなく、企業である東急電鉄に進みます。
東急電鉄では、都市開発事業などに携わっています。
森さんは桐朋中高、さらに大学でも、陸上競技に取り組み、大学では、連盟の一員としても関わったこと、その後、企業に就職されましたが、縁あって、日本陸上競技連盟に転職し、大会運営、広報、強化、普及などさまざまな活動を統括する役割を担当され
引用元:桐朋中学校・桐朋高等学校
その中で、国際大会で審判を務めたこともあります。
・世界陸上競技選手権大会県大会
・東京マラソン
・名古屋ウィメンズマラソン
ずっと陸上に関わってきただけあって、スポーツに対して熱い想いをお持ちのようです。
母校である桐朋中学校や日本記者クラブでも日本のこれからのスポーツについて熱く語っています。
中学から大学までは、自身が「スポーツをする人」として。
大学から就職後は、「スポーツを支える人」として活動しています。
森泰夫氏は、東京都国立市にある中高一貫校「桐朋中学・桐朋高等学校」出身。
桐朋中学は偏差値67~71となっていますので学力もかなり高い方のようですね。
森泰夫と森喜朗との関係は?
五輪組織委員会元次長の森泰夫氏と元会長である森喜朗さんの関係が、名字が同じであることから親族なのでは?という声もありますが、実際は血縁関係はない可能性が高いです。
森喜朗さんの家系図を見ても、近しいところに森泰夫さんの名前はありません。
ー親子関係 …婚姻関係
(姉)智子
(弟)紀喜ー長女…岡田直樹(参議院議員)
森喜朗…森千恵子
ー長男:森祐喜…妻(離婚済)
ー長女:藤森陽子…藤森真佐(IT企業社長)
ただ、週刊文春の報道によると、森泰夫氏が
『俺は森喜朗の親戚だぞ!』と周囲に威張り散らしていた
引用元:週刊文春
という情報があります。
ものすごく遠い親戚ということがあるかもしれませんが、結局は分かりませんよね。
確実にわかっているのは、たまたま森という名字が一緒で、同じ五輪組織委員会にいた上司と部下といった関係。
また、森泰夫氏が逮捕された件について、森喜朗さんが関わっていたかも不明。
これから捜査が進めば、関係性が少しははっきりしてくるのかも知れませんね。
まとめ
元首相・森喜朗の現在、嫁や息子などなどについて紹介しました。
現在も現役で政治の世界に身を投じる政界の大物は、今後どんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
生涯現役?の政治家・森喜朗氏の今後にも注目です。