実業家・パラアルペンスキーヤーと、二つの顔を持つ 青木大和 さん。
モビリティ事業を手掛けるEXx Incの社長であり、障がい者アルペンスキーの強化選手でもあります。
とても興味深い方と思い、調べてみました。
青木大和さんとは?
学生時代に「18歳成人」のテーマで与野党の国会議員と意見交換するなど政治活動家として脚光を浴びる。
高校一年生の時にアメリカへ留学。
そして現地で若者たちが自由に政治を語りあう姿に関心を持ち、高3の時、日本の若者にも議論して政治に関心を持ってもらう場を作ろうと市民団体「僕らの一歩が日本を変える。」を設立されました。
その、「僕らの一歩が日本を変える。」を設立したのは2012年。
同年夏、討論会イベント「僕らの一歩が日本を変える。 高校生100人×国会議員」を議員会館で開催して、話題となったんです。
行動力がありますよね。
僕は見習いたいです…
アメリカへ留学したのは、「何か自分を変えたい」と思ったからなんだそうです。
その行動を起こしたのは高等学校入学から4か月後です。
休学してアメリカへ留学されました。
青木さんは、小学生の頃からニュースや新聞を読みあさり、うまくいっていない政治を目の当たりにし、
「自分なら必ず日本を変えることが出来る!」
と政治家になることを決意されたそうです。
小学生の頃からですよ。
僕は小学生や中学生の頃なんか、遊ぶことしか頭にありませんでしたよ(笑)
そんな気持ちになれること自体が羨ましいです。子供の頃からもっと勉強しておけばよかった…
青木大和さんは今なにをしている?
パラスキーヤー(日本代表強化指定選手)としてパラリンピックで金メダルを目指したり、電動キックボードを事業の柱として、EXx Inc 代表。
-Mobility for Possibility- を掲げ、社会の公器となる事業をつくるモビリティスタートアップを経営。
不動産ではなく可動産を掲げ、動く滞在施設である『BUSHOUSE』や電動キックボードを用いた短距離移動ソリューションを提供するサービス『ema』を手がけています。
素晴らしいですね。
「僕は、21歳で脊髄を損傷したんですが、一番不便なのが、尿意を感じないことなんです。
いつ尿意が襲ってくるかわからないので、外を出歩くのが億劫になったんですが、LAに出張した時に、街に電動キックボードが置かれているのを見て、これだったらすぐにトイレに行けて、好きだった海外旅行も諦めなくて済むなと思ったんです。
長時間歩けないご高齢の方も、電動キックボードがあれば、いつもとは違う景色に出合えます。
身体的障害や心理的障害によって限られた生活圏から、一歩踏み出すサービスにしていきたいですね」
青木大和さんより
途轍もない『脊髄損傷』という事故を乗り越えて頑張り続けている青木さん。
日曜日を除く毎朝、2~3時間ほどトレーニングを行ってから仕事に入るのがルーティンだそうです。
トレーニング時間を固定させてからは、経営者とアスリートのスイッチが切り替えやすくなったといいますが、それでも、時間的にも肉体的にも過酷であることは想像に難くない。
ですが、青木さんは二つの顔を持つことで得られるメリットを大きく感じているとのこと。
「夢を追えるのは若者だけという空気を感じますが、何歳になっても挑戦できるし、夢を追うことは恥ずかしことじゃないと思うんです。
自分主導でプロジェクトを立ち上げて、いろんな人の声を集めながら、いくつになっても夢を追うことのできる空気感をムーブメントとして、日本だけでなく世界に広げていきたいですね」
「ある日突然、事故で体が動かなくなって、それから2年くらいは普通の生活に戻りたい、普通の人でありたいうという想いばかりでした。
でも、究極的には〝普通〟ってたぶんない。
自分自身が与えられた環境の中でどうなっていきたいかが大事なのだと気づいたんです。
ハンディキャップを背負ったことで、自分の選択肢は狭まったけど、その中で探って探って出合えたのが、今の夢。
起業するために18歳で諦めたアルペンスキーを、27歳になった自分が本場のヨーロッパで世界のトップ選手に混じって滑っている未来なんて、まったく想像できませんでしたよ。
どこまで夢に近づけるのか、自分自身が楽しみです」
青木大和さんより
まだまだ頑張ってらっしゃるんですね。
なぜ炎上したのか?
インターネットで身分を偽っての「炎上」なんですね。
まず、「僕らの一歩が日本を変える。」がNPO法人取得したのは2014年10月なんですが、同年12月、小学校4年生を騙り、NPO法人を利用したドメインで自民党批判サイトを作成。
twitter で小学校4年生を騙り、子供の言葉遣いで、
「大人ってよくわからないや。僕たちはわからないから聞いてるのになんですぐに大人がやってるとか、民主くんがとか言うの?まるで今の政治家のおじさんたちと変わらないよ。ちゃんとなんで?に答えてよ。僕たちはそれが知りたいんだ!」
Wikipediaより
などと自民党の衆議院解散(安倍政権)を批判したんですね…。
もちろん安倍さんからは「卑劣な行為」とSNSで非難されました。
衆議院解散への疑問を投げかける内容のウェブサイト
”どうして解散するんですか?”
の作成者が「小学4年生の中村」となっていたようなんですが、内容から「小学生が作ったとは思えない」との批判が集中し、「僕らの一歩が日本を変える。」が作成したのではないかと疑われたんですね。
それで青木さんはこれらの行為は自分1人で行ったと認め、同サイトおよびツイッターで謝罪。
さらに青木さんは「僕らの一歩が日本を変える。」の代表を辞任しています。
疑われた理由とは?
その「小学生が作ったとは思えない」サイト。
疑われる理由とは…
ツイートの通りなら「小学4年生が学校のお友達と作ったはじめてのちゃんとした作品」だ、そうだったんですが…
①Mac上の『Adobe Creative Cloud』で制作されていた
サイトや画像のMETA情報で判明。
Mac、Photoshop、Illustrator を使いこなす小学4年生か?Adobe CCを使いこなす小学4年生とそのお友達軍団。
しかもこれが「初めてのちゃんとした作品」ってすごすぎだろ…
②コストパフォーマンスを考えていた
『どうして解散するんですか?』の画像は、Amazonのクラウドコンピューティングサービス『Amazon Web Services(AWS)』の
サーバーから読み込まれていた。
AWSを利用するとサーバーの費用が使用量に応じて課金され、急にアクセス数が増えたときでも対応でき、
かつ従来のデータセンターを利用するよりも低コストで運用できます。
おサイフのことや大量アクセスがきたときのことについても考えられる小学4年生ってすごすぎだろ…
なみに、AWSは未成年者による利用契約を禁止しています。
③鉛筆を肥後守(ナイフ)で削っていた
サイトやTwitterに掲載されている「しつもんです。」という画像に鉛筆が載っているのだが、その鉛筆がどうみても肥後守(ナイフ)で削られていた。
えっ? イマドキ鉛筆削りじゃなくて肥後守を使う小学4年生がいるの?
小学校に肥後守とか持ち込めないと思うのですが……。
④「問題」の漢字が書けるのにわざと「もんだい」と書いていた
さきほどの鉛筆と同じ画像からだが、「もんだいは一体なに?」、「問題だってパパが言ってた」など、なぜか書ける漢字をひらがなで書いていた。
なぜ書ける文字をわざわざひらがなで表現したり漢字で表現?
ちなみに、「問題」の漢字は小学3年生でどちらも習います。
あと「ムダ遣い」の「遣」は中学校で習います。
⑤NPO法人を名乗る人物が同じ日に類似ドメイン名を取得
『どうして解散するんですか?』のURLは
「why-kaisan.com」ですが、このドメインが取得された同日に
「why-kaisan.jp」
「why-kaisan.net」
「why-kaisan.org」
なる類似ドメインも取得されていたんです。
類似ドメインの取得者はjpドメインから「NPO法人僕らの一歩が日本を変える。」であると判明しており、orgドメインでは連絡先に
「info@boku1.org」とこのNPO法人の連絡先が記載されています。
小学4年生が作ったサイト「why-kaisan.com」と同じ日に「NPO法人を名乗る人物」が類似ドメインを取得…
などなど…
このような感じで疑われてしまったんですね。
しかし僕からすると、そこまで出来るんだから頭がいいんだなぁ…と思ってしまいます。
良すぎたのかなぁ…
青木大和さんの出身校はどこ?
◆小学校 … 晃華学園小学校
東京都調布市佐須町5-28-1
◆中学校 … 法政大学第二中学校
神奈川県川崎市中原区木月大町6-1
◆高校 … 法政大学第二高等学校入学。(入学4か月後に渡米)
神奈川県川崎市中原区木月大町6-1
そして、慶応義塾大学法学部へ。
輝かしいですね。
青木大和さんの事故とは?
自宅マンションの階段から転落しての脊髄(せきずい)損傷。
・脊髄損傷が生じると、手足が動かなくなる、手足の感覚(痛みや触られている感触など)がなくなる。
・こうした麻痺症状が永続的に残ってしまうか、一過性で済むのかは脊髄損傷の程度によって異なる。
・足のどこに障害を受けるかも、脊髄損傷が生じた場所によって異なる。
・脊髄の中でも脳に近い場所で損傷が生じるほど、より手足を含めた広範囲に障害がみられる傾向にあり、
自発的な運動ができなくなって床ずれが生じやすくなる場合も。
・しびれの症状や、呼吸運動、排尿・排便にも支障が生じる。
「自分の足で歩けなくて、生きている意味があるのかとまで思った。障害を持って生活していく中で、自分は障害者への配慮がいかに足りていなかったかを思い知った」。
青木大和さんより
青木さんはそんな挫折と絶望からはい上がり、全力で生き抜くことに向き合っているんです。
まだまだ無限の可能性を秘めている青木大和さん。
これからのご活躍も期待しております!