岸田文雄さんの妻、裕子さん。
裕子さんはとても社交的で、美人だと評判です。
裕子夫人の若い頃は旧家の令嬢で仕事は副社長秘書をされていたとか。
そんな裕子夫人の出身校や、若い頃の画像をチェックしてみました!
Contents
妻の岸田裕子さんについて
岸田総理は5年間、サラリーマンを経験していまして、30歳の時に父親の秘書となって、31歳の時に現在の奥さんの裕子夫人と見合い結婚しています。
裕子さん、おきれいな方ですよね。
裕子夫人は7歳年下で、結婚した際には24歳。
裕子さんはお嬢様学校の出身者で、お嬢様育ちのようです。
裕子さんの父親は広島県の不動産会社「三次開発興行株式会社」の代表取締役社長の和田邦二郎さんです。
↑の写真もかわいいですね~。
出身中学校
広島県 広島女学院中学校
出身中学校は私立の女子校の広島女学院中学校。
小学校は不明ですね。
出身高校
広島県 広島女学院高校
出身高校は、私立の女子校の広島女学院高校。
この高校は1886年開校のキリスト教系のミッションスクールで、地元では古くからの「お嬢様学校」として知られています。
出身大学
東京女子大学 文理学部
高校卒業後は、私立大の東京女子大学に進学。
1987年3月に大学を卒業しており、卒業後はマツダに就職しています。
OL時代は社長秘書を務めていたそうですよ。
それにしても今でもおきれいな方ですね!
社交的ですてきです。
岸田総理の息子さん達
岸田文雄総理には3人の息子がいて、学歴が優秀なんだとか!
左から、長男の翔太郎さん、奥様の裕子さん、次男の晃史朗さん、三男さん(名前不明)となります。
岸田文雄総理の3人の息子さんのプロフィールは、以下の通りです。
長男:翔太郎さん(31歳) 慶応義塾大学卒・・・赤坂の議員宿舎で同居
次男:晃史朗さん(24歳) 日本大学卒・・・赤坂の議員宿舎で同居
三男:名前不明(22歳) 大学不明・・・都内の大学に通っており、都内在住
2020年の自民党の総裁選では、兄弟3人とも東京に赴き、家族総出で選挙活動の手伝いをするなど、仲の良い家族であることが伺えますね!
長男:翔太郎さん
生年月日:1991年1月14日生まれ
年齢:32歳(2023年5月時点)
出身中学校:修道中学校
出身高校:修道高校 中高一貫・私立の男子校
出身大学:慶應義塾大学法学部政治経済学科
職業:議員秘書
長男の翔太郎さんは、慶應義塾大学の政治経済学部を卒業されています。
次男:晃史郎さん
生年月日:1997年5月28日
年齢:26歳(2023年5月現在)
出身中学・高校:兄の翔太郎さんと同じ修道高校
出身大学:日本大学スポーツ科学部
晃史郎さんは、日本大学スポーツ科学部出身です。
三男:名前非公表
名前:非公表
生年月日:2000年6月1日
年齢:22歳(2023年5月現在)
出身高校:非公表
大学:非公表
岸田総理のプロフィールと経歴
氏名:岸田 文雄(きしだ ふみお)
生年月日:1957年7月29日
年齢:65歳(2023年5月現在)
身長:174cm
体重:62kg
血液型:AB型
都道府県:広島県
選挙区:第1区
当選回数:9回
主な経歴
- 自民党政務調査会長
- 外務大臣
- 防衛大臣
- 自民党国会対策委員長
- 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方・国民生活・科学技術政策・規制改革担当)
- 消費者行政推進担当大臣
- 宇宙開発担当大臣
- 衆議院厚生労働委員長
- 文部科学副大臣
- 自民党経理局長
- 自民党商工部会長
- 建設政務次官
- 自民党青年局長
- 衆議院議院運営委員会委員議事進行係
岸田総理の若い頃
岸田総理の若い頃、相当なイケメンですね。
現在は65歳。まだまだお若いですよね。
上画像は岸田文雄議員が1993年(36歳)に衆議院議員に初当選した時です。
なかなかの男前ですよね!
下は学生時代。
岸田さんは小学校1年生から3年生まで父の仕事の関係でアメリカ・ニューヨークの公立学校に通いました。
帰国子女なんですね。
英語が堪能である理由がそこにあります。
奥様の裕子さんも英語が喋れるそうですよ。
岸田総理の生い立ち
岸田総理は広島県出身の通商産業省(現:経済産業省)の官僚であった父・岸田文武の元に東京都渋谷区で生まれます。
親の教育方針もあり、岸田総理は東京で育てられたそうです。
岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に帰省し、岸田総理は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いていたそうです。
岸田一族も多くが被爆し、亡くなった方もいたとのこと。
1963年、父の仕事の関係でアメリカ合衆国ニューヨーク市に居住。
小学校1年生から3年生まで3年間、現地のパブリックスクール(公立小学校)に通います。
1963年秋から「PS 20」に通ったのち、1964年春からクイーンズ区の近隣住区エルムハーストに位置する「PS 13 Clement C Moore School」に通いました。
1966年6月、パブリックスクール3年次を修了し、日本に帰国。
7月に永田町小学校(現:麹町小学校)の3年次に転入。
麹町中学校を卒業後、1973年に開成高等学校に入学。
野球部に入部し、ロック/フォークの流行に影響を受け、ギターにも打ち込んでいたそうです。
大学から銀行員時代
1976年に開成高校を卒業、東京大学合格を目指し、2年間の浪人を経験。
1978年に早稲田大学法学部に入学。
政治家を数多く輩出している大学ではあったが、政治家になるつもりはなかったそうです。
当時は夏目漱石のような文豪に憧れていたのだそう。
1979年、父が通産省を退官し、衆議院議員に当選。
この時、凄まじい選挙戦を手伝い、多くの種類の人間に接し1票を入れてもらうため、どんな努力をするべきなのか考え始める。
それが貴重な経験となって政治への道に影響したそうです。
1982年、同大学同学部卒業、同年日本長期信用銀行に入行します。
長銀入行後、最初の配属は本店勤務で外国為替業務を2年半経験。
その後、海運業界担当の営業マンとして高松市に2年半赴任。
高松での地方営業では、利息すら払えなくなった会社から経営再建の支援継続を相談されたり、倒産や夜逃げを目の当たりにして世間の厳しさや経済というものの激しい実態を知ることになります。
そして1987年3月、政治家になる決意を固め、長銀を退行されました。
政界
1987年、長銀を退行後、父・衆議院議員岸田文武の秘書となります。
1988年11月、マツダの社長秘書を務めていた和田裕子さんと結婚。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区から自由民主党公認で出馬し、初当選。
父親と同じ宏池会に所属します。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い広島1区から出馬し、以後広島1区で連続8選。
1997年には若手議員の登竜門とされる党青年局長に就任しました。
2001年、第1次小泉内閣で文部科学副大臣に任命されます。
2007年、第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣に任命され、初入閣。
続く福田康夫内閣でも内閣府特命担当大臣に任命され、引き続き入閣。
2008年、新設された消費者行政推進担当、宇宙開発担当大臣を兼任。
福田康夫内閣 (改造)の発足に伴い大臣を退任。
党の消費者問題調査会長・道路調査会副会長兼事務局長、団体総局長に就任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、広島1区で民主党の菅川洋を破り、6選。
2011年9月、自民党総裁谷垣禎一の下、党国会対策委員長に就任(2012年9月退任)。
2012年10月、第9代宏池会会長に就任。
同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、広島1区で7選。
2014年9月発足の第2次安倍改造内閣で留任、さらに2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で8選した後に第3次安倍内閣でも再任、自民党総裁選後の2015年10月に発足した第3次安倍第1次改造内閣でも外相を留任します。
2017年7月28日、自衛隊南スーダン派遣での日報の隠蔽疑惑に関する問題の責任を取って稲田朋美が辞任したのに伴い、内閣改造までの一週間に渡って防衛大臣を兼務。
2017年8月の内閣改造では以前から希望していた党三役ポストである自由民主党政務調査会長に就任(2020年9月15日に退任)。
政調会長退任後、2021年3月27日、自由民主党広島県連会長に就任されました。
岸田総理の出身校(小学校~大学)
出身小学校
東京都 千代田区立永田小学校
岸田さんの出身小学校は、千代田区内の公立校の永田小学校です。
この小学校は1993年に閉校になっています。
出身中学校
東京都 千代田区立麹町中学校
この中学校は公立校ではありますが、都立の上位進学校の日比谷高校への合格者を多数輩出。
昔から「エリート中学校」と知られている有名な中学校だそうですよ。
岸田さんは中学時代は軟式テニス部に在籍されていたそう。
出身高校
東京都 開成高校
私立の男子校の開成高校。
高校時代は硬式野球部に所属、そしてギターに打ち込んでいたそう。
ポジションは内野手(ショートかセカンド)だったそうです。
子供の頃からスポーツが好きだったようですね。
出身大学
早稲田大学 法学部
出身大学は、2年間の浪人生活を経ての名門私大の早稲田大学です。
慶応義塾大学の法学部にも合格していたそうですが、早稲田を選んだんですね。
父親の出身大学が東京大学だったので東京大学を目指したそうですが、浪人2年目でも合格できなかったとのこと。
なので自分はエリートではないと言われています。
岸田文雄の祖父・正記さん
岸田文雄さんの祖父・岸田正記(まさき)さんは、経営者から政治家になっています。
1933年に、先代経営の貸家業を引き継ぎ幾久屋百貨店を創立。
中国で不動産業や百貨店経営を行っていたそうです。
その後に衆議院議員となり、海軍参与官、海軍政務次官、国防委員長、自由党総務などを歴任。
しかし、戦後公職を追放されます。
その後、1953年に再び衆議院議員に当選。
議員をしながら、幾久屋商事社長、穏田マンション社長になったんですね。
岸田文雄の父・文武さん
岸田文雄さんの父・岸田文武(きしだふみたけ)さんは、通産省官僚から政治家になっています。
・1948年 東京大学法学部政治学科卒業
・1949年 通産省入省。貿易局長、中小企業庁長官を経て退官。
・1979年 衆議院議員となり、当選5回。
・総務政務次官、文部政務次官、党経理局長などを歴任。
自他ともに認める本好きだったということで、こんな本も出版しています。
妻の澄子さんは、日東製粉(現・日東富士製粉)の社長・井口良二さんの娘さんです。
岸田文雄のいとこ・宮沢洋一さん
岸田文雄さんの叔母の子供、つまり従兄弟の宮沢洋一さんは、自由民主党所属の参議院議員です。
東京大学法学部を卒業後、ハーバード大学行政学大学院を卒業。
経済産業大臣、
内閣府特命担当大臣、
師友民主党税制調査会長、
参議院政策審議会長代理、
自民党たばこ議員連盟副会長、
参議院消費者問題に関する特別委員長
などに努め、ご活躍された方なんですね。
凄すぎません?全員…
まさにエリートですね。
岸田総理の英語力
幼い頃に居ただけで、この話し方は素晴らしいですよね。
全くのカタカナ英語ではないところがすごいです!
もちろん、文法のほうはネイティブチェックが入っているらしいので、岸田総理の文法力は分かりませんが、発音や表情が硬くなく豊かに保っているところがスゴイと思います!
かっこいいですね~。
岸田総理、これからどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
期待しております!