サッカー日本代表の監督である森保一(もりやすはじめ)監督。
2022ワールドカップでは日本代表を予選リーグ首位突破をさせた実力ある指導者です。
愛称は「ぽいち」。
日本がW杯初出場を果たした1998年以降、W杯後に監督が引き続き指揮を執るのは初めてなんですね!
Contents
新しい景色を見るため…
森保監督は、W杯ロシア大会後の2018年7月に代表監督に就任。
W杯カタール大会で日本はドイツ、スペインといった優勝経験のある強豪を破って首位でグループリーグを突破。
決勝トーナメント1回戦でクロアチアに負けてしまい、目標としていた「8強以上」はなりませんでした。
ですが、2022年12月28日に開かれた臨時の日本サッカー協会技術委員会で、森保監督を続投させる方針が改めて確認されました。
同協会の田嶋幸三会長は、
「サッカー界だけでなく、日本社会にポジティブな影響を与えてくれた。(W杯で)8強という新しい景色を見るために一番ふさわしい監督」
と評価し、理事会で承認されたんですね。
ワールドカップ(W杯)カタール大会で日本代表を2大会連続16強進出に導いたんですもんね!
そりゃ続投しますよ!
契約期間は2026年の次回W杯までだそうです。
森保監督は、
「まだ見ぬ新しい景色を見るため、難しい道のりだが一戦一戦覚悟を持って挑戦していきたい」
とコメント。
かっこいいですね!
サッカー日本代表、頑張ってください!!
森保さんのプロフィール
SAMURAI BLUE(日本代表)監督
生年月日 | 1968年8月23日 |
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出身地 | 長崎県長崎市 |
最終学歴 | 長崎日本大学高校卒業 |
選手歴 | 1979~1980年 土井首SSS(長崎市立深堀小学校) 1981~1983年 長崎市立深堀中学校 1984~1986年 長崎日本大学高等学校 1987~1992年 マツダサッカークラブ 1992~1997年 サンフレッチェ広島 1998年 京都パープルサンガ 1999~2001年 サンフレッチェ広島 2002~2003年 ベガルタ仙台 ※日本代表 35試合 1得点(1992-1996) ※J1リーグ 293試合15得点、Jリーグカップ 49試合6得点 |
指導歴 | 2004~2007年 サンフレッチェ広島 強化部育成コーチ 2005~2007年 JFAナショナルコーチングスタッフ U-19/U-20日本代表 コーチ トレセンコーチ(中国地域担当) 2007~2009年 サンフレッチェ広島 コーチ 2010~2011年 アルビレックス新潟 ヘッドコーチ 2012年~2017年7月 サンフレッチェ広島 監督 ※J1通算187試合 92勝40分け55敗 2017年11月~ 第32回オリンピック競技大会(2020/東京) サッカー男子日本代表監督 2018年~ SAMURAI BLUE(日本代表) 監督 |
資格 | 2005年 JFA S級コーチライセンス |
長崎県長崎市出身の元プロサッカー選手。
サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。
現役時代のポジションはミッドフィールダー(元日本代表)で、現在は日本代表の監督を務めています。
学歴、経歴
森保一の学歴:小学校
小学校は佐賀県の唐津市立鏡山小学校と、長崎県の長崎市立深堀小学校に進学。
元々は静岡県掛川市で生まれた森保一監督ですが、父親の仕事の関係で幼少期は全国各地を転々。
小学校入学時には佐賀県唐津市に住んでいたので唐津市立鏡山小学校に入学。
しかしすぐに転校することが決まり、その後は長崎市立深堀小学校に進学。
子供の頃から大変だったでしょうね…。
静岡県掛川市で生まれたが、父親が造船関係者だったため、幼少期から名古屋市、横須賀市、佐賀県唐津市と各地を転居し、唐津市立鏡山小学校に入学するもすぐに転居。小学1年生から長崎市に定住する
森保一監督は小学校5年生の時に隣町にある土井首サッカークラブに誘われ、小学校6年生から本格的にサッカーを始めます。
当時地元の深堀町は野球やソフトボールが盛んな地域だったそうで、両親はサッカーに対して
「ボールを足で蹴る?どこがおもしろいの?」
とあまり乗り気ではなく、一度はサッカーを辞めさせられたそう。
しかし当時小学生だった森保一監督はサッカーにドはまり。
両親には内緒で毎日練習に通い続けたんですって。
森保一監督が小学校6年生の時に土井首サッカークラブは全国大会出へと進出しましたが、まだ経験の浅い森保一監督は補欠のGKとして地区大会から参加。
しかし、たまたま登用された試合でキーパーとして大活躍。
全国大会でもGKとして活躍した森保さんを見た両親は考え直し、森保一監督のサッカーの応援をしてくれるようになったそうです。
中学校
中学校は長崎市立深堀中学校。
父親が造船業のお仕事をされていたこともあり、長崎の港町にある長崎市立深堀中学校に通います。
小学生の頃からサッカーに取り組んでいた森保さんですが、残念ながら進学先の長崎市立深堀中学校にはサッカー部がなかったため、隣の校区の長崎県立土井首中学校のサッカー部に混ざって練習していたそうです。
森保一の学歴:高校
森保一監督の学歴で、高校は長崎日本大学高等学校。
現在は中高一貫教育が行われている男女共学校です。
森保一監督は中学校時代のサッカー部創設や大会成績などが認められ、特待生としてのオファーで長崎日本大学高等学校に進学しました。
長崎日本大学高校は運動系の部活が強い(特に野球)ことでも有名。
森保一監督は長崎県内のサッカー強豪校の国見高校への進学を希望していましたが、父親の反対により長崎日本大学高校への進学します。
そこで森保一監督はサッカー部に所属しますが、当時長崎県は国見高校と長崎県立島原商業高等学校の2強時代。
長崎日本大学高校サッカー部はこの2校に勝てることがまずなかったので、森保一監督は高校時代に大きな大会に出場できる機会はほとんどありませんでした。
厳しい練習に耐えているのに大きな大会に出られない。
そんなもどかしさから、森保一監督は高校2年生の時にサッカー部から逃げ出したそう。
学校にも行かずに友達と遊ぶ毎日をすごした森保一監督でしたが、サッカー部の下田監督は毎日自宅まで様子を見に行き、決して見放さなかったそうです。
反省した森保一監督はサッカー部へ戻り、下田監督に謝罪。
その後は一生懸命練習に励んだ森保一監督は、その努力の甲斐があって、1986年に開催された山梨国体で森保一監督は県のセンバツメンバーに選ばれ、MFとして活躍しました。
素晴らしい先生と出会えたことも一生の財産ですね!
森保監督の若い頃~引退まで
今とは違い、アグレッシブ?
“真面目で誠実で選手思いの監督”。
そんなイメージを持たれている森保一監督ですが…
しかし、若い頃は違っていたみたいです!
長崎日大高時代に相手選手に飛びかかって喧嘩をし、レッドカードをもらったことが2度もあったそうです。
もちろん、理由があったようで、味方の選手が(ラフプレーで)やられたからだと。
仲間を助けるためにとった行動だったようです。
当時住んでいた長崎市の深堀地区は共同体意識が強い土地柄だったといいます。
困っている仲間がいれば理屈抜きに行動する。
今に続く気質は地域で育まれたのかもしれません。
社会人からプロへ
高校卒業後、東洋工業(現:マツダ)のサッカー部である東洋工業サッカー部に入部。
入部当初、森保さんは選手としてあまり良い評価を得ることができなかったとのこと。
しかし、マツダに指揮官として、元日本代表監督であるハンス・オフト氏が就任、転機到来!
オフト氏は森保監督に目をつけ、森保一氏を選手として引き上げました。
見る目がある人は違いますね!
その後、オフト氏はチームの降格とともに退団しますが、後任のビル・フォルケス氏によって森保監督は育てられ、1991年にプロ契約を果たします。
そして、同年、クラブは日本サッカーリーグ(JSL)1部に昇格。やりましたね!
Jリーグ時代、代表選出
1992年にマツダはサンフレッチェ広島となります。
同年4月、オフト氏が日本代表監督に就任すると、森保監督は日本代表に招集されます。
当時のスター選手であるラモス瑠偉氏や三浦知良氏はと対象的に、ほぼ無名の選手として大抜擢されました。
守備でチームを支える
同時はラモス瑠偉氏の後方をケアする守備的MFとして活躍。
1993年のワールドカップアメリカ大会アジア予選で、あの「ドーハの悲劇」を経験しています。
現役後半〜現役引退
1993年から開幕したJリーグでは中心選手としてチームを支え、1994年サントリーシリーズではステージ優勝に貢献。
しかし1995年7月、右足首関節脱臼骨折してしまいます。
人生、皆、山あり谷ありですね…。
代表では山口素弘氏がボランチに定着したため、その座を譲る形となりました。
1997年はサンフレッチェ広島が経営不振に陥り、その影響は森保監督にも降りかかります。
クラブは当初、同監督を京都パープルサンガに完全移籍をさせようとしていましたが、サポーターからの猛反発により、ローン移籍に。
2002年、クラブはスタッフ転進をすすめるも、森保監督は現役を続けたい一心でベガルタ仙台へ移籍。
ベガルタでは主力として活躍したのですが、クラブはJ2降格。
森保監督自身にも戦力外通知が下り、2004年に現役引退となったんですね。
息子はイケメン3兄弟!
森保一監督と妻の由美子さんの間には、3人の息子さんがいます。
なんと子供3人ともサッカー選手として活躍しているんです!
①長男:森保翔平
長男は森保翔平(もりやすしょうへい)さんです。
森保翔平さんは1991年8月17日生まれの31歳。
サンフレッチェ広島のユース出身で、現在はサッカー系YouTubeチャンネルのカメラマン兼サッカー選手として活躍中。
経歴
2009年 | U-18のサッカー日本代表メンバーに選出 |
2014年 | 法政大学卒業後、香川県・丸亀市を拠点とするJ2カマタマーレ讃岐に所属 |
2015年 | カマタマーレ讃岐と契約満了 |
2016年 | ニュージーランドへ渡り、2部リーグの「オネハンガ・スポーツ」に所属。 |
2018年 | ニュージーランドの最上位サッカーリーグのニュージーランド・フットボールチャンピオンシップの「ワイタケレ・ユナイテッド」に移籍。 |
2019~2020年 | オセアニアサッカー連盟主催のOFCチャンピオンズリーグに出場するバヌアツ代表のマランパ・リバイバースと契約。2020年に日本に帰国 |
2021年 | 弟で次男の圭吾さんがメンバーのYouTubeチャンネル『LISEM』をカメラマンとしてサポート |
2022年~ | KONAMIの公式YouTubeチャンネル『eFootball』が運営するサッカークラブ「Winner’s」に所属 |
日本国内でも海外でも大きな活躍をしている森保一監督の子供で長男の森保翔平さん。
現在は弟さんと共にYouTubeチャンネルにてサッカー界を盛り上げています!
②次男:森保圭悟
次男は森保圭悟(もりやすけいご)さんです。
森保圭悟さんは1993年9月22日生まれの29歳。
兄で長男の森保翔平さんと同じくサンフレッチェ広島のユース出身で、兄同様に海外リーグで選手として活躍しています。
経歴
2016年 | 流通大学卒業後、オーストラリア2部リーグのセミプロクラブ「エッジワース・イーグルス」に2年間在籍 |
2018年3月~ | フィリピンリーグ「JPVマリキナFC」に所属 |
2019年 | ドイツのオーバーリーガ「TuSロット=ヴァイス・コブレンツ」に所属12/31にサッカー選手引退を表明 |
2020年 | サッカー系YouTuberに転身し、サッカー系YouTubeチャンネル「LISEM(リゼム)」を開設 |
森保圭悟さんは流通大学の3年生時に出場した「第63回全日本大学サッカー選手権大会決勝」で左足首靭帯を負傷し、半年間戦線離脱したそう。
大学卒業後は日本のJリーグチームとの契約は取れなかった圭悟さんですが、大学卒業後もサッカーを続けたかったので、父の森保一監督の勧めで海外リーグに挑戦。
オーストラリア・フィリピン・ドイツのチームで選手として活躍し、フィリピンリーグ所属時には1年で十数得点を記録。
アシストでもチームに貢献をする大活躍!
大怪我があったにもかかわらず、素晴らしいですね。
③三男:森保陸
三男は森保陸(もりやすりく)さんです。
森保陸さんは2000年7月27日生まれの22歳。
2人の兄同様にサンフレッチェ広島のジュニアユースからユース選手内部昇格。
経歴
2016年(高校1年生) | 第71回国民体育大会『希望郷いわて国体』のサッカー部門少年男子の部広島代表に選出 |
2018年(高校3年生) | 夏頃に腰を疲労骨折 |
2019年 | 立教大学 コミュニティ福祉学部・スポーツウェルネス学科に進学 |
2022年5月 | アメリカ4部USL League Twoに所属する「Fort Wayne FC」と契約。大学を休学して渡米。 |
三男の森保陸さんはサンフレッチェ広島の選手時代、高校3年生で腰を疲労骨折。
サンフレッチェ広島のユース選手時代はチームの主力選手でしたが、怪我により大学進学後のサッカー選手としての活躍はあまり好調とは言えない状態だったようです。
森保陸さんは、2人の兄がサッカー海外リーグで活躍していた姿を見て、オーストラリアのチーム所属を希望。
しかしコロナの影響で入国が難しいことで、他の英語圏について調べていたところ、アメリカサッカーに興味を持ったそうです。
そして、森保陸さんが契約した「Fort Wayne FC」は将来的にプロリーグへの参入を目指しているチームなんだとか。
日本の現役大学生がUSL League Twoに参加する事例は過去にも何度かあった。ただそこからプロ契約を締結できた選手は未だかつて存在しない (最終選考まで辿り着いた選手が3名、アマチュア契約を締結した選手が1名)。史上初の快挙となるか。森保選手の新たな挑戦が始まる。
これからが楽しみですね!
奥さんが素晴らしすぎる!
森保一監督の妻は一般人の方で由美子さんという方。
森保一監督とは同級生なので、2023年現在の年齢は55歳です。
由美子さんは一般の方ですので、あまりメディアには登場しないようですが、森保一監督が日本代表監督の前に勤めていたサンフレッチェ広島の監督時代にはよく試合の応援に来ていたとのこと。
そのためサンフレッチェ広島のサポーターの間では、「森保一監督の妻は超美人」とうわさになっていたようですね!
森保一監督は1988~2003年はサッカー選手として活躍。
引退後はJ1サンフレッチェ広島のチームコーチや監督を歴任後、2017年に日本代表の監督に就任。
本当にサッカー一筋という人生ですね。
妻の由美子さんはそんな夫を懸命にサポートする素晴らしい方で、子育てや家事はほぼ一人でこなしてきたんだとか。
めちゃくちゃ大変ですよね!
「いつも朝から晩までクラブハウスに入り浸りになって仕事をしていますが、家庭のことはまったく何もしていません。仕事バカな私を支えてくれる家族に感謝したい」。
引用:森保一監督のコメント
と、森保一監督は妻に感謝しています。
そこが森保監督のいいところですね。
森保一監督は年に数日しかない休日には家のお手伝をしようとするのですが、手伝えることがないんだとか。
嫁さんが完璧に家事をこなしているからそうなりますよね(笑)!
文句も言わず、
「家庭のことは私に任せて仕事を頑張ってね!」
と言ってくれる妻のお陰で森保一監督はサッカーに没頭できると思われます!
いいですね~。
お二人の馴れ初めは?
森保一監督と妻の由美子さんの出会いは高校時代。
長崎日本大学高等学校で同級生だった森保一監督と妻の由美子さん。
高校生の頃からお付き合いしていて、そのままゴールインしたそうですよ!
これはお互いに運命の人だったとしか思えませんね。
なお、森保の妻は高校の同級生。陸上選手としてインターハイに出場した美少女で、学校のマドンナ的存在だったという
引用:文春オンライン掲載 森保一の妻
森保一監督と妻の由美子さんは1990年に結婚。
森保一監督は1968年生まれなので、お2人とも22歳同士での結婚でした。
1990年当時の森保一監督は、1987年の高校卒業後にマツダ(現サンフレッチェ広島)に入団。
しかし、まだチームとプロ契約を交わした選手ではありませんでした。
サッカー選手としては無名。
にも関わらず、若くして結婚に至ったという由美子さん。
森保監督がこのような大物になるとは想像もしていなかったのではないでしょうか。
森保一監督は妻の由美子さんとの結婚後、1991年にマツダ(現サンフレッチェ広島)とプロ契約、1992年に日本代表メンバーに選出されています。
2017年からサッカー日本代表監督、今日に至るまで日本最高峰のサッカー選手を育てています。
その重責を引き受ける際に唯一相談したのが妻の由美子さんだったそうです。
サッカー関係者ではなくて妻に相談したというあたりが、いかに妻を信頼しているかがよくわかりますね。
お察しのとおり、森保一監督夫婦は夫婦仲もめちゃくちゃ良好!
お休みの日には夫婦2人で出掛けているそうですよ。
自宅は豪邸!
広島県広島市南区の高級住宅街「洋光台」にあるようです。
自宅はこちらである可能性大です!
森保監督 ↑
こんなお家、憧れです…
年俸
森保一監督の選手時代から日本代表監督時代までのトータル年俸は、軽く見積もっても10億円以上は稼いでいると思われます。
森保一監督の年収推移の一部がこちら。
- 2012年:3000万円
- 2013年:3600万円
- 2014年:5000万円
- 2015年:5000万円
- 2016年:6000万円
- 2017年:7000万円
- 2018年:4800万円
- 2019年:1.98億円(五輪監督4800万+日本代表監督1.5億円)
- 2020年:1.98億円(五輪監督4800万+日本代表監督1.5億円)
- 2021年:1.98億円(五輪監督4800万+日本代表監督1.5億円)
- 2022年:1.98億円(五輪監督4800万+日本代表監督1.5億円)
まとめ
息子さん達は3人ともプロサッカー選手!
奥様は美人で、夫を支え、ほぼ一人で子育てと家事をこなす素晴らしい女性!
いや~しかしこんな完璧すぎる家族って他にいます?
森保さんが頑張ってサッカーに没頭できるのも奥様のおかげですよね!
羨ましいかぎりです。
これからのご活躍も期待しております!